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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)1799号 判決

原告 佐治春太郎 外四名

被告 東京温泉株式会社

主文

被告会社は、原告春太郎に対し、金四〇、七七六円八〇銭、原告洋一に対し金二〇、〇〇〇円、原告隆介、同則夫、同塚本伊都子に対し各金一〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三三年三月二三日から完済に至るまで各年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの負担とし、その一を被告会社の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨等

「被告は、原告春太郎に対し、金二六九、六四四円、その余の原告らに対し、各金八〇、〇〇〇円および本件訴状送達の翌日である昭和三三年三月二三日から右各金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決および仮執行の宣言を求める。

第二請求の原因

一、原告春太郎は訴外亡佐治百合の夫であり、その他の原告らはいずれも春太郎、百合夫婦の子である。

被告会社は、肩書地に本店を有し、同所で、いわゆる東京温泉として一般に知られている浴場を経営している商事会社である。

二、百合は、昭和三二年一〇月二七日午後二時頃、被告会社経営の右浴場の入浴のため入場した。ところで、その際、被告会社経営の浴場のうち、女子浴場地下室の北側浴室に設置してある二個の浴槽のうちの一個は、当日摂氏約七〇度から八〇度位の熱湯を湛え、入浴不可能の状態であり、右地下室内には両浴槽から立ち昇る湯気が充満し、視界が極めて狭い状態であつたが、被告会社代表取締役許斐氏利は、右浴場の入浴者に対する注意として、このような状態のもので、特別の注意を払わないでも、何人も直ちに右浴槽に入浴することができないことを看取しうるような掲示または入浴を阻止するような設備を施していなかつたため、百合は右浴槽に入浴できるものと考え、入湯したところ、前記のような熱湯であつたため、全身に火傷を受け、直ちに銀座東七丁目四番地所在菊地病院に入院加療したが、翌二八日遂に死亡するに至つた。

三、佐治百合が、右のようにして、死亡するに至つたのは、被告会社代表取締役許斐氏利が客の来集を目的とする浴場の経営に当つていながら、熱湯を湛えた入浴不可能の浴槽が存在するにもかかわらず、前記のような状態のもとで、入浴者に対する明瞭な注意または阻止の設備を怠つた不注意に基く火傷に原因するものであることは明らかであつて、働き盛りの同人を失つた原告らは、同人の夫および子として悲嘆にくれている次第である。

四、原告春太郎は、百合の死亡に伴い、同人の葬式費用として、合計金八九、六四四円を支出したが、右費用は、同人の死亡について過失のある被告会社において賠償すべきものである。また、原告らは、右訴外人の夫または子として、右訴外人の死亡により甚大な精神的苦痛を受けたが、被告会社は、右精神的損害について、原告春太郎に対し金一八〇、〇〇〇円の慰謝料を、その他の原告ら各自に対し各金八〇、〇〇〇円の慰謝料を支払う義務がある。

そこで、原告らは、被告会社に対し、それぞれ右葬式費用および慰謝料の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。

第三被告会社の答弁

一、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求める。

二、請求の原因第一項記載の事実は認める。

三、請求の原因第二項記載の事実中、佐治百合が原告ら主張の日時に被告会社経営の浴場に入場した事実、被告会社経営の浴場のうち、女子浴場地下室の北側浴室に設置してある二個の浴槽のうち一個は、原告ら主張の日、約七〇度から八〇度位の熱湯を湛え、入浴不可能の状態であつた事実および佐治百合が右のような熱湯のため全身に火傷を受け、直ちに原告ら主張の病院に入院加療したが、原告ら主張の日に死亡した事実はいずれも認めるが、その他の事実は否認する。

四、請求の原因第三項記載の事実は、原告らが佐治百合の死亡により悲嘆にくれている事実を除いて、否認する。

五、請求の原因第四項記載の事実中、原告春太郎が佐治百合の葬式費用として金八九、六四四円を支出した事実は知らない。その他の主張は争う。

六、佐治百合が被告会社の女子浴場地下室に入室した当時、本件浴槽の正面には「熱湯注意。しばらくお待ち下さい。」との掲示板か何人にも分るように建ててあつたほか、右浴槽の上面には、入浴を阻止するため梯子を渡してこれを覆い、長い竹棒六本を浴槽の縁と縁との間にさし渡し、通常人の注意をもつてすれば、直ちに入浴できないことが分るようにしてあつた。のみならず、該浴槽は、その設けてある位置からいつて、あたかも、大きな元湯が入つている槽のような印象を受け、通常人であれば、特別の注意を払わなくとも、到底入浴しようという考えを起さないような場所にある。それにもかかわらず、佐治百合は、前記梯子と竹棒とを不注意にもはねのけ、湯加減を確めることもなく、同浴槽内に飛び込んだのであつて、同人が全身火傷を受け死亡したのは、全く同人の重大な過失によるもので、被告会社は損害賠償の義務を負わない。

七、かりに、本件浴槽の設置について被告会社の過失が認定されるとしても、被害者である百合には、前記のように、重大な過失があるから、損害賠償の額の算定にあたり、しんしやくすべきである。

八、被告会社は、佐治百合の死亡に伴い、香典、葬儀料として、総計金一六七、四八九円を支出したが、右支出は原告らに対する慰藉をも考えたうえのものであり、原告らは、被告会社がとつた本件事故の事後措置に対し、感謝の意を表しているのであるから、被告会社は、損害の賠償および慰藉料その他いかなる名目でも、原告らに対し金銭を支払う義務を負わない。

第四証拠

一、原告ら訴訟代理人は甲第一号証の一、二、第二号証の一ないし三、第三号証、第四号証の一ないし五、第五ないし第九号証を提出し、証人平野じゆうの証言、検証の結果、原告春太郎および洋一の供述を援用し、乙第一号証の成立を認め、その余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

二、被告会社訴訟代理人は乙第一号証、第二号証の一ないし七、第三号証の一ないし五、第四号証の一、二、第五、六号証、第七号証の一ないし四を提出し、証人丹羽寿美、戸村盛雄の各証言を援用し、甲号各証の成立は知らないと述べた。

理由

一、被告会社が肩書地でいわゆる「東京温泉」として一般に知られている浴場を経営している商事会社であること、百合が昭和三二年一〇月二七日午後二時頃、右浴場にある女子浴場の地下室の浴槽のうち摂氏七〇度ないし八〇度くらいの熱湯を湛えた浴槽に入浴したため、全身に火傷を負い、翌二八日、銀座東七丁目四番地所在菊地病院において死亡するに至つたことについては、当事者間に争いがない。

二、証人戸村盛雄、平野じゆう(後記信用しない部分を除く。)丹羽寿美の各証言および検証の結果を総合すれば、本件事故当日、百合は、訴外平野じゆうとともに、まず、被告会社経営の女子浴場一階にある大浴槽および牛乳風呂に入浴し、ついで、同浴場の地下室に降りたが、当時、同地下室には二個の浴室があり、その北側の浴室には巾一〇尺五寸、奥行五尺五寸の本件事故浴槽のほか一〇尺五寸四方の浴槽一個があり、右各浴槽の縁は、いずれも、その周囲の洗い場より約一寸だけ高くなつていたこと、当時、本件事故浴槽には、ほとんど、常時、七〇度ないし八〇度の熱湯を貯えておいたので、入浴用としてこれを使用していなかつたこと、百合は平野じゆうに先んじて右浴槽に入つたが、その時同浴室内には湯気が充満しており、平野は、同浴室に足を踏み入れた時、百合がぼうと霞んですでに本件事故浴槽の西南隅のところにある柱(本件浴室の入口から約四間ほど離れている。)の付近にいるのを見たが、一瞬の後百合の悲鳴を聞き、平野が同浴槽にかけつけた時百合はその下腹部から下を湯にひたし、同浴槽の中に直立していたこと、百合は直ちに平野に助け出され、女子浴場の脱衣場で応急の手当を受けたが、肩から下の全身に火傷を受けていたので、被告会社は、百合を前記菊地病院に入院させたこと、被告会社の経営者は浴客が本件浴槽に入浴することを防止する目的で、同浴槽とその南側にある浴槽との中間にある巾一尺五寸の洗い場に「お湯があついです。熱湯注意。暫くお待ち下さい。」と朱書された横九寸、縦一尺三寸の白ペンキ塗りの掲示板をつけた、高さ四尺八寸の立札を置き、本件浴槽の東西の縁に梯子一個、竹棒六本をさし渡してその上面を蓋うような状態にしておいたことが認められる。そして、証人平野じゆうの証言のうち、事故当時本件浴槽の上面に右梯子および竹棒がなかつた旨の部分は信用することができない。およそ多数の浴客の来集を目的とする浴場の経営者としては、浴客の生命、身体に対する危害の防止について細心の注意を払うべきであつて、前記認定のように、同一浴室内に入浴不能の浴槽と入浴可能の浴槽とがある場合には、浴客が誤つて入浴不能の浴槽に入浴することも十分予測されるのであるから、浴場の経営者には、浴客が入浴不能の浴槽に入浴することを阻止するについて万全の措置を講じ、事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものというベきところ、被告会社の経営者が本件浴槽に入浴することを阻止する目的で、浴室内に立札を設置し、同浴槽の上面に梯子、竹棒を置いたことは前記認定のとおりであるが、湯気の充満、視力の不足、立札の位置等の事情から右立札によつて本件浴槽に入浴不能の趣旨を看取することのできない浴客もあるであろうし、(証人丹羽寿美の証言によれば、現に、百合はこの立札に気がつかなかつたことが認められる。)浴槽上面の梯子、竹棒もなんらかの事情でその位置が変更され、そのため入浴阻止の標識としての役目を果し得ない場合も予測されるから、前記のように、浴室に立札を設け、浴槽の上面に梯子、竹棒を置いただけでは、被告会社の経営者はその注意義務をつくしたものということができない。すなわち、本件浴槽の周囲に柵を設けるなどして浴客の入浴を確実に阻止する措置を講ずべきであつたのに、これをしなかつたのであるから、被告会社の経営者はあらかじめとるべき事故防止の措置を怠つたものというべきである。したがつて、本件事故は被告会社の経営者の過失に基因するものといわざるを得ないし、右過失が被告会社の当時の代表取締役の職務上のものであることは明らかであるから、被告会社は本件事故により原告らに加えた損害を賠償する義務を負うものといわねばならない。

三、原告春太郎が百合の夫であり、その他の原告らが春太郎、百合夫婦の子であることについては、当事者間に争いがない。

四、原告春太郎は百合の葬式費用として合計金八九、六四四円を支出した旨主張し、原告春太郎の供述中にはこの主張に合致する部分があるが、これだけでは、まだ右主張事実を認めるのに十分でない。しかしながら、原告春太郎の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、三、第三号証、第四号証の一ないし五、第五号証ないし第九号証および同原告の供述によれば、原告春太郎は昭和三二年一〇月三〇日郷里名古屋市で百合の葬式を行ない、そのための諸費用として、その頃金五三、八三四円を支出したことが認められる。もつとも、証人戸村盛雄の証言によれば、原告の死亡後、被告会社は同女のため仮葬式を営み、原告らもこれに参加したことを認めることができるが、原告春太郎がさらに郷里で百合の葬式を行なうことは葬祭慣行上当然のことであつて、結局、右金員の支出は本件事故によるものというべく、原告春太郎はこれと同額の損害をこうむつたものといわねばならない。

つぎに、百合が死亡したことにより、原告春太郎はその夫として、その他の原告らはその子としてそれぞれ甚大な精神的打撃を受けたことは察するにかたくないが、原告春太郎および洋一の供述によれば、本件事故当時原告春太郎は年令五三才で勤務先の会社から月給金二五、〇〇〇円(手取り約金二〇、〇〇〇円)を支給されていたこと、原告洋一の妻は、百合死亡後の家事を処理する関係上、当時金一〇、〇〇〇円位の月給を支給されていた日本陶器株式会社を退社するに至つたこと、本件事故当時、原告洋一の月収は金一七、〇〇〇円程度であり、原告隆介は月額三、〇〇〇円、原告則夫は月額六、〇〇〇円程度の収入を得ていたこと、原告春太郎および洋一は、昭和三二年一一月六日、被告会社代表取締役許斐氏利にあてて、同会社の本件事故後の措置に対する感謝の意思を表した「はがき」を発したことが認められ、証人戸村盛雄の証言によれば、被告会社は百合の死亡後直ちに東京で仮葬式を行ない、香典金三〇、〇〇〇円を含めてその葬式のために要した一切の費用として、十数万円を支出したことが認められる。右に認定した諸事情その他本件に現われた諸般の事情をしんしやくすれば、慰藉料の額は原告春太郎に対しては金一五〇、〇〇〇円、原告洋一に対しては金一〇〇、〇〇〇円、その他の原告らに対しては各金五〇、〇〇〇円とするのが相当である。

五、ところが、被告会社は、本件事故の発生についてその被害者である百合にも重大な過失があるので、損害賠償額の算定に当りしんしやくすべきである旨主張するので、この点について検討する。

およそ、浴客としては、入浴するに当り、当該浴槽の湯加減について十分注意しなければならないことはいうまでもないことである。

ところで、前記認定のように、本件浴槽の湯の温度は摂氏七〇度ないし八〇度であつたこと、百合が本件浴槽に入浴したため肩から下の全身に火傷を受けたことから考えると、百合は、本件浴槽の上面にあつた梯子、竹棒の位置を移動したかどうかはさておき、本件浴槽の湯加減をためすことなく、一挙に首のところまでその身体を同浴槽の熱湯の中に沈め、その結果、前記部位に火傷を受けたものと推認することができる。もしも、百合が入浴前に湯加減をためす注意を払つたならば、同人は本件浴槽に入浴することを避けたであろうし、本件事故も発生しなかつたものと思われるが、百合は浴客として当然払うベき右注意を怠り、本件浴槽に入浴したため、本件事故が発生したのであるから、百合の過失は本件事故発生の重要な一因となつていたものといわねばならない。

以上の事情から判断すれば、佐治百合の死亡については、同人自身に相当大きな過失があつたものといわねばならないから、被告会社の損害賠償額を算定するに当り、この過失は、右賠償額を五分の一に減額させる程度のものとしてしんしやくすべきである。

六、以上の次第であるから、被告会社は、原告春太郎に対し同原告の損害額である金二〇三、八三四円の五分の一である金四〇、七六六円八〇銭、原告洋一に対し、同原告の慰藉料額の五分の一である金二〇、〇〇〇円、原告隆介、同則夫、同塚本伊都子に対し、各原告の慰藉料額の五分の一である各金一〇、〇〇〇円あておよび右各金員に対するその弁済期後から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うものといわねばならない。

よつて、原告らの本訴請求のうち、被告会社に対し、原告春太郎が金四〇、七六六円八〇銭、原告洋一が金二〇、〇〇〇円、その他の原告らが各金一〇、〇〇〇円および原告らが右各金員に対するその弁済期の後であることが明らかであり、かつ、本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三三年三月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める部分は正当であるから、これを認容し、その他の部分は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条、第九三条第一項本文の各規定を、仮執行の宣言について同法第一九六条の規定をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桝田文郎)

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